アンドロイドが普通に存在している近未来でのせつなさあふれる家族の物語。表紙からするとサスペンスっぽい印象受けましたけどそうではなくハートフル(ちょっと精神削られる
全4巻に別れていますが1冊あたり50ページくらいなので、分量としては単行本1冊くらい?
※この先には若干ネタバレがあります。完結作の感想ですのでご容赦ください。それが気になる方は、先に進む前にご一読を是非。
「ヘルプロイド」がよく使われている世界
この世界では「ヘルプロイド」と呼ばれる、所謂アンドロイドが人の生活で普通に使われています。
技術レベル的には、子どもでも犬のヘルプロイド(A○BOっぽい感じのやつ)を作ってしまえるくらいにこなれているみたい。
それでヘルプロイドは出来がよく、そうむしろ人間よりも人間に都合の良い出来のよさ故にペットどころか子どもの代りとして愛玩されるようになってしまい、そのせいで親に捨てられるような子まで出てくる始末。
最初に登場する朱くんも、そういった経緯で親に捨てられて一人で町に流れ着いた子どもでした。
(「彼女はもう死んでいるのに!」より)
そんな彼が管理人を任されることになったアパートに住んでいたのが、桜庭霞お姉さんと、
(「彼女はもう死んでいるのに!」より)
ヘルプロイドの医師をしている、弟の千秋。
(「彼女はもう死んでいるのに!」より)
うんまあ…
「家族」という人との関わり
そんな彼らが3人、一つ屋根の下で暮らしていくわけですが、ゆっくり家族として霞さんに惹かれていく朱くん。
ああこのゆるくてふわっとしたかんじのお姉さん…わかる…
(「彼女はもう死んでいるのに!」より)
どちらかというとあこがれの家族という感じかもしれないですけど。わかる…
桜庭姉弟は朱が本当の家族に捨てられた原因にもなった、ヘルプロイドの医者(調整する技師が、もう医者と呼ばれている)をやっているわけで、内心複雑なところを抱えていた頃もあったけど、千秋がどういう思いでそれを続けているのか、というのを霞姉さんから聞いたりして、だんだん心をほぐしていったんでしょうね
元の家族にあんまり執着がなかったのも、ここでは良い方向に作用したのかも。
そしてこのアットホームな近未来SFはその彼女が病に倒れて帰らぬ人になったとき、千秋がそれを見越してやろうとしていたことを受け入れたときから、どろどろとしたせつなさがあふれる面を見せてくる…
彼女と同じ記憶を持ち、同じ体温を持ち、同じ市草を持ち、同じ気持ちを持つモノは彼女たりえるのか
ヘルプロイドの天才医師である千秋は、いずれ霞が倒れることは予測済みで、彼女の姿形、情報を持たせたヘルプロイドを作ることで蘇らせようとしていきます。
アンドロイドというと機械的なイメージがあるのですが、この世界では前述したように子どもやペットの代りとしても利用されていて、「怪我をする」とか「血が流れる」とか、むしろロボットとしては邪魔な、有機物的な存在であることが求められる側面もあり。
医師としてそれらに関わっていた千秋は、体温、仕草、反応などといった側面も含めて「人間として」の霞を復活させようと考えています。
古来より亡くなった人を蘇生させるとか、そっくりなものを造り出すとかということはフィクションではよくあることですが、当人協力のもと生前からバックアップデータを作成しつづけておいてそれを成そうとするのはなかなかマッディなのではないかと思います。
霞さんもふわっとしすぎじゃよー。だがそれがいい。
…まあ、死ぬことがほぼ確定している人の心境としては、そういうのもありなのかもしれないですね…
そしてその計画を聞いて、もう一度霞さんと三人で暮らせるという希望をみてしまう朱。
結果として、霞さんと同じ記憶、同じ体温、同じ仕草、同じ気持ちになれる霞さんは誕生して…でもそれが、そっくりであればあるほど、些細な違和感が際立ってしまって。
また複雑にしているのは、それを誰が観測しているか、という話なんですよね。千秋から見て完璧なものでも、朱くんしか知らない情報が入っていなければ、朱くんから見たら不完全な霞さん。
その観測者が二人居たことにより、情報の齟齬が出てくるというのはまた厄介で…さらに、この霞さん(ヘルプロイドのほう)は、これまでの(千秋が把握している、もしかしたら望んでいる)記憶と気持ちを持ってはいるけど、そこから導かれる「これから」の動作が、果たしてオリジナルの「霞さん」を完璧にシミュレートできているのか。またそれを誰が判断するのか。
それこそ、唯一判断できるだろう彼女はもう、死んでいるのに。
このあたりの人間サイドの気持ちはもうなんていうかやっぱり「ああー」って感じになるんですが。僕個人としてはもうひとつ気になったのが、この「人の記憶を与えられ、人の体温を与えられ、人の仕草を与えられ、人の気持ちを与えられたヘルプロイドがその先に感じたことは、果たして機械的な反応にすぎないのか」言ってしまえば「人間スペックの反応ができるヘルプロイドが自ら考えた反応は自我と呼べるのか」というところ。
お話としては終始、人側からの視点といいますか、ヘルプロイドはモノ程度の扱いしかされていないように思えますが、霞さん(ヘルプロイドVer)が完成してから先の彼女の行動や考えたことは過去のトレースから生まれたにしてもそのままではないはずで。
その思考についての「らしさ」というのが一体どういうものだったのか。そう思うと、最後の千秋の質問に対する答えはどこから導かれたのか、千秋の願望だったかもしれないけど、ヘルプロイド霞さんの今の気持ちであることにも違いなくて、オリジナルの気持ちが影響していないかどうかもわからないし。
もしも千秋が、朱が、「僕の思っている霞さんと同じであること」をそこまで追い求めなかったら、つまりちゃんと現実を受け入れていたら、また違った3人の結末になったのかもしれない。
みたいなことを考え出すとやっぱり「ああー」ってなるのでそういう感じの人間とそれが造り出してしまったモノの気持ちが交差するSFがお好きな方にはおすすめです。ああー
最後の最後まで読むと、霞さんは全部承知した上で千秋につきあっててやったんだなあって感じもあってああー…
霞さんは霞さんで、救いを残していこうとしとったんじゃよ…千秋…
それからこういう話は、今は全然フィクションですけど、そう遠くない未来(といっても僕とかが生きてるうちには来ないでしょうが)にはフィクションと呼べるかわからないところはあると思ってます。
AIとかも人の思考を模倣することを目指しているところがあるし、再生医療やES細胞、クローン技術なんかで(人体という)ハードウェア的なところも補完されていきそうな感じもあります。
それが良い未来になるのか、悪い未来になるのかは、そのときに生きる人達によるのだろうとは思いますが。