芯が強くてブレない、小説の才能が半端ない女子高生がスターダムへの階段を上っていく過程と、それに伴い周りの人達の苦労…とか苦悩とか、感情があぶり出されていくのがじわじわとくる作品。
「小説家になる方法」ってあるから、てっきり新人が作家目指してあがくみたいなものかと思ったのですけどそうではなく、わたわたしてるのは周りだったりしてむしろ「(天才を)小説家にする方法」っていったほうが正しいんではないかしらというところまである。
実は一度、3巻くらいで読むのをやめてしまってたんですがやっぱり続きが気になってて全部読み返したらやっぱり面白いかも知れない…ってなったりしていたマンガです。
※ここから先にはネタバレがあります。どうしても最初のほうのバレは入ってきてしまうので、そのあたりはご容赦を。
天才女子高生小説家「響」
このマンガは言ってしまえば読書家の少女、鮎喰響が小説を書いて投稿したらそれが素晴らしすぎてだんだんと世間に認められていくような話。題材としては一般文芸の話なので、ラノベばかり読んでる俺とかはだいぶ置いてきぼりな感じはしないでもないですが、小説がどうというより人と人の関わりみたいなところが焦点になっているのでそのへんはあんまり関係ないですね。
響は黒髪短髪メガネで口数少ない、典型的な文学少女然としてる女の子なのですがつよい。つよいっていうのはもちろん物理的な意味ではなくて(物理もあるけど)芯の強さとか心の強さとかそういう方向の強さなんですが、いやアレを強いといっていいのかどうかというのはちょっと分からないところもある。もっと正直にいうとどん引く。
クール系のキャラが涼しい顔して躊躇なく無茶をする、というのはよくある話で、そういう態度をみてスカッとしたりカタルシスを感じたりというのが面白さのポイントでもあるのですが、そういうものとは違う、どちらかというと「うわ…」って感じになる印象を受けてしまうのが響の行動。
人間誰しも、思わず言ってしまったとか、思わず手が出てしまったとかあるじゃないですか。ついぽろっと本音がみたいな。だいたい後からうわーしまったみたいな感じになるところですが響はそれを当然のようにやってのける。ていうかそれしかしてない。揉めないはずがない。
このへんがよくわからなくて、だからか途中で読むのをやめてたんだと思うのですが読み返してみて僕なりにわかったことがあります。響の行動に共感できないけど目が離せないのは、彼女が周りの人の映し鏡のようになっているからじゃないかと。
傍若無人に振る舞う「天才」
ずけずけと物を言い、時には手段を選ばない(物理)な響なんですが、一方で普通の子どものようにあどけないところ、素直なところもあります。
どっちが本当の…というよりも、これが相手の善意や悪意に対して、同様のものを返しているところがあるんじゃないかと思って。
そういう視点で見てみると、この話は「天才が傍若無人に無双する話」ではなくて、「天才に振り回されて周囲の人達の感情が炙り出される話」なんじゃないかと思います。
(「響 ~小説家になる方法~」より
響自身は別に、既存の業界をかえてやろうとか、常識をぶちぶろうなんてことは考えていなく、ある意味「当たり前のことを、当たり前に」しているだけなのかもしれない。喧嘩を売られたら買うし、つまらない作品をつまらないと言うし、好きな作品には好きと言うし。
(「響 ~小説家になる方法~」より
その返礼の仕方がなんていうか、常識人がブレーキを掛けているところを全力で振り切っているのでだいたい周りの人間がフリーズする羽目になるというだけで。不良のよくるある脅し文句「殺すぞ…」に対してノータイムで指を折りにいって目つぶしを狙うような極端さ。こわい。
しかし、そういう酷い目にあった当人達は、むしろそんなに気にしていなくなっているというか、どこか憑きものが落ちたかのような感じすらあるのがまた不思議なところでもある。(前述の不良は結局響に勧誘されて文芸部にいます)
もちろん小説家相手の場合は、響の作品が素晴らしすぎてぐうの音も出ない…という補正はあるのですが。それよりもこの、ある意味素直すぎる態度が跳ね返ってくることで毒気を抜かれるというか、ある種救われているところがあるんじゃないかと読み進めるうちに思えてくるところまである。
周りの人たちの反応が面白い
そんな響の周りにいる人達は、とんがってるところもあるけど基本的には普通の常識をわきまえている人達だから、思考と言動が直結しているかのような響の行動は異質なものとして扱われてしまいます。具体的に言うと担当編集ふみさんの気苦労が絶えない。
この人はこの人で、今の出版業界を立て直す! みたいなところあったんですが今はすっかり響の常識ブレーキ担当みたいな感じに…いや、「響」という作家を推していくことが世代交代の第一歩でもあるので方向性は間違ってないですけど。
そのふみさんが担当している作家のたまごであり、偶然響と同じ学校の文芸部だった祖父江リカちゃん。響とはライバルといっていいような感じでお互いに面白いものを書くと認めている(リカのほうは響の底知れぬ才能を認めてるという感じが強いけど)関係でもある。
やろうと思えばいろいろとチートできるような環境でも、それらを使わずにふみの目にとまるところまで来た真面目さ、意地のようなものとか、本当はいろいろ言いたかったり思っていたりするところを全部押し込めて「良い子」になってたりするところとか、めんどくささでいったら明らかにこの子のほうがかわいいんですが。
(「響 ~小説家になる方法~」より
現実問題としての厄介さは響のほうが上ですけど、行動が素直なので、そういう意味では他の人達のほうがよほどめんどくさいところがあって、でもそのめんどくささはたぶん常識とか人間関係とか呼ばれるものであって、だから逆に素直に蹴っ飛ばしていく響が嫌味ではなくかっこよく感じるところがあるんだろうかと思います。
逆に、特に才能があるというわけでない、ラノベ好きのかよちゃんとかは常識的な範囲で素直で、だから響もやさしい。響なりにやさしい。それを受け止められるかよちゃん、実は大物なのかもしれない…
まあなんで、物語上は響は異端者であることには違いないんですが一番素直だからであって、それが関わる人の心を反映しているのかと思うと行動に納得がいってしまうわけです。
(「響 ~小説家になる方法~」より
本当にヤバいやつはもっと身近にいるから…(震え
イケメンだから許されるのか…いや、これもまた素直な好意の表れだからなのかもしれない…常識人枠かと思っていたところからの不意打ちでもあるので、ヤバさもひとしお。
他にも先輩作家先生とか、週刊誌の記者とかが容赦なく響の餌食になっていくのは見応えがあります。淡々と。その舞台もだんだん大きくなっていってしまっているので、ますますヤバさも増していってしまってます。
ほんと5巻の続きはどうなるのか気になって仕方ない。
でも、最初のほうに「私がおかしいのかな…」と悩んでいた女の子が、今ではそんなこと露とも思わず堂々としている(態度自体はまあ変わってないっちゃそうなんですが)のは、響は響でこの周りの人達に救われているところがきっとあるんだろうなとほっこりするところもあります。
規格外の天才がいろいろなものをぶちこわしていく、でも結局右往左往しているのは周りの常識人であり、本人は泰然としている。
そういった天才ものが好きな方は楽しめるかもしれないし、ちょっと違うと思うかもしれない意見が分かれそうな作品だと思います。
おっさんになるとむしろ周りの人達のほうを応援したくなるところがあってなかなか困る。